放送日:2022年3月25日

「電気の記念日:アーク灯」

 本日3月25日は「電気の日」という記念日になります。
電気といえば照明をイメージされる方も少なくないと思いますが、実はこの電気の記念日も照明に関係しています。
以前の放送で「あかりの日」という記念日のお話をさせていただきましたが、覚えていらっしゃいますか? 
・・・「あかりの日」とは?
 1879年の10月21日にエジソンによって開発された白熱電球が40時間点灯し実用的なものに至った、その偉業を称えて制定された記念日となります。
 エジソンが白熱電球を実用化し一般に普及する以前の我々の日常生活における「あかり」といえば、必ず「炎」が必要でしたが、このエジソンの開発よって「あかり」から「光」と「熱」を分離させた事で、現在、1日24時間、昼も夜も人が活動できる「電気を使った“あかり”」のある生活文化の原点となったといえます。・・・さて、このエジソンの白熱電球が、開発される以前にも電気を使った「あかり」は存在したのでしょうか? 
 実は、エジソン電球ほど実用的でなかったとはいえ、当時いくつかの電気灯が存在しました。

 そのひとつに「アーク灯」があります。「アーク灯」とは2本の尖らせた炭素棒に電極を取付け電気を流して放電させることで光を放つ放電灯になるのですが、実はエジソンが実用的な白熱電球を開発したのち日本に輸入される4年前の、1878年(明治11年)3月25日、当時の工部省電信局が万国電信連合に加盟する準備として「電信中央局」を設け、その開局記念の祝賀会にて、公で初めてこの電気を使った「アーク灯」が灯された記録が残っており、この事柄を記念して昭和2年に日本電気協会によって3月25日を「電気の日」とする記念日が制定されたようです。
 その4年後の明治15年には、東京電灯会社が東京銀座2丁目に宣伝用の街灯として、アーク灯を点灯させ、電灯照明が市民に広く知られるようになっていきました。その当時の様子が紙面、錦絵にも描かれており、そこに書かれている説明に「アーク灯の光があたかも白昼のごとき・・・」なんて言葉も残っています。一般的に蝋燭や行燈の「あかり」しかなかった当時の人にとっては、明るく眩しい「光」に映り当時、かなり話題となって大勢の見物客が連夜つめかけたといわれています。その明るさはロウソク2000本(※60Wの電球だとおよそ30個分)程と言われていますが、その光の全てが電極間の小さな1点から放射されることを考えると電気溶接の光と同じようなもので、直視できない程、眩しい光だったのだろうと想像できます。
 この東京の銀座に「アーク灯」が点灯されたわずか2年後、上野駅に日本で初めてエジソン電球が点灯されて以降、「アーク灯」は紫外線や煤を生じたり、メンテナンス性の悪さ、点灯持続時間が短いなどを理由に白熱電球の特性を超えることができずに結局、街から自然と消滅していきました。その後、電球の普及速度を考えると「アーク灯」の寿命がいかに短かったことか・・・なんだか切ない話ですねw