放送日:2018年4月13日

「光線画」

 今回は、錦絵にまつわる「日本のあかり文化」など、少しお話できればと思います。
 錦絵とは?・・多色刷りにした浮世絵版画の総称で、中でも明治時代の錦絵には、文明開化によって日本の生活に入ってきた新しい文化・風俗が数多く描かれています。
 その頃の錦絵には、ガス灯が初めて日本にやってきた街の風景から、電灯照明が普及しだした頃の生活風景など、夜の街や生活風景を描く作品も多くあり、これら当時を映し出す錦絵をただ見ていると、見落としがちですが、当時、人々が新しい光の変化に対して感じた思いや観え方が伝わるようで面白く感じます。
明治時代に描かれた錦絵に「光線画」と呼ばれるものがあります。

 「光線画」とは、西洋絵画の遠近法、陰影法、明暗法といった技法で光を表現した錦絵で、明治9年に、日本の伝統美術と西洋の写真技術や油彩画など様々な分野を研究し作風に取り入れた小林清親(こばやし きよちか)によって始められたとされています。
 その彼が描く「光線画」の繊細な光の表現法は、輪郭を用いずに、光と影、光のゆらぎ、色彩の細やかな変化をリアルに捉えたもので、見る者に光を意識させる技法は従来の錦絵にはない写実的な表現となっていて、当時の人々が捉える新しい光、夜の生活、街あかりなどの感覚が写実的に見てとれます。
 文明開化によって、ガス灯などの新しい灯りに出会い、そして白熱電球の普及でより明るい光が街を照らし、見える景色がどんどん変化していく新しい時代の風景を光と共に描き出した小林清親の「光線画」は、実物よりも実物らしく、写真よりも写真らしく、当時の人々の心にある古いものへの郷愁と新しいものへの憧れを錦絵でありながら、わかりやすく当時の生活風景を表した、とても価値のある作品に感じます。
 
 そんな「光線画」を生み出した小林清親ですが明治14(1881)年から光線画を描かなくなります。理由はわかりませんが、「光線画」を止める前の作品に興味深いものがあります。それは、夕暮れ時の波止場で雲の合間を照らす月の光を見ている人の影が印象的な絵ですが、その絵の左下に取って付けたように1本電灯が描かれています。
 一見、絵の構図的には良いのでしょうが、雲や海を照らす美しい光の描写を主に捉えると、とても滑稽でいらないもののように感じるのです。
 実際のところはわかりませんが、光の本質的な美しさを突き詰めると、自然光に勝るものはなく、作為的に創り出された人工の光への軽視の表れなのかと考えてしまいます。
 
 現在、生活光源として、新しくLED、有機ELといったデジタル光源に変化している中、その機能性や真新しさばかりに囚われがちですが、本質的な人を豊かにする光とは何なのか?と、考え「日本のあかり文化」を質の高いものにしていきたいものですね