放送日:2022年9月2日

「夜祭りの灯かり」

 まだまだ残暑が続いているようですが。こんな夏の暑さを吹き飛ばす風物詩のひとつに、夜祭りがあります。その夜祭りを彩る行灯や提灯の「あかり」は幻想的な雰囲気を創り、一時、暑さを忘れさせてくれる「涼の光」となるのかなと思います。
 そこで今回は、行灯や提灯などの「夜祭りのあかり」について考えてみたいと思います。
 
 京都の祇園祭り、青森のねぶた祭り、秋田の竿灯祭りなど、この時期、全国各地では行灯や提灯を使った歴史のある祭事として、夏の夜祭りがたくさん催されております。このような歴史のある祭事は現在のような電灯照明が使われる以前より、催されておりましたが、当時、暗闇は毎日訪れるもので、それは人々にとって不安や緊張を生み出すものでした。  
 その為、暗闇の中の灯火や蝋燭の光は安心感を高め、緊張感を払拭する役割がありました。このような火の光のもつ心理的効果は、現在に比べ大きかったと考えられます。
 今でこそ火の光はライターやマッチなどで容易に作りだすことができますが、昔は簡単ではなく、火をおこすのも時間がかかりました。だからこそ火の明かりは貴重で、生活の中で大事にされたのです。このように貴重な火の光を神聖なものとして人々が救いや希望を求めることは、ごく自然なことであったのかもしれません、昔からあらゆる宗教的な祭事などにおいても、魔を払い、祈願の意味を込め、火の光は神聖なものとして欠かせないものとされています。
 秋の稲刈り前のこの夏の時期、日本各地では五穀豊穣や豊作祈願のための祭りが幾多もあります。秋田の竿灯祭りはその最たるもので、諸説ありますが、提灯に灯された火で厄を払い、数多く並べられた提灯は五穀豊穣を願い豊作の稲穂を模ったと言われています。

 しかしながら、最近の祭りに使われている行灯や提灯は、安全の面からもほどんどロウソクから白熱電球に変わり、電球型蛍光灯、そして電球型LEDに変化しており、電灯照明が普及してから、夜の祭りは明るく艶やかな感じにはなっています。しかしその反面、暗闇と明かりが醸しだす幻想的な雰囲気が失われつつあります。
 「幻想」とか「幽玄」でなくとも現代の華やかな光が多くの人々のストレス発散に寄与していれば良いのでしょうけど、もともとの神事としての祭りの価値を考えると疑問が残りますし、燃やすことに神秘の力を求め願う中で燃焼型の明かりでない蛍光灯やLEDに「御利益」願うのは少し違うような気がします。

 とはいうものの、ひと昔前とは違い屋外で安易に火をおこすこともできなくなっておりますし、炎の明かりを見る機会も減ってきています。・・・時代の流れと言ってしまえばそれまででしょうが、祭り本来の祈願ということを考えると、神事としての祭りというよりは観光イベントになってしまっているでしょう。

 そんな中、電灯照明がこれだけ普及した今だからこそ、もし、一切、電灯照明を使わず昔ながらの蝋燭のゆらぐ光の「幻想」「幽玄」を体感できる夜祭りを未来に残こしていくことができるとしたら、それはとても素敵なことでしょうし、下手な観光アピールをして人を集めるより、価値のあることのように考えてしまいます。