放送日:2017年7月7日

「日本のあかり文化」

 現代日本の生活様式は、衣・食・住を問わず欧米化してきております。その衣食住の中の「住」にあたる建築においても、日本古来からの建築様式を取り入れた建物は、神社や仏閣、茶室などのごく一部で、今建っているそのほとんどの建物が洋風化してます。中には、洋室に和のテイストを取り入れた「洋和室」や「和モダン」といった日本独自の建築様式も新らたに生まれてきました。このような時代の背景の中で建物と密接に関わる「あかり」は、私たちの生活の中で洋風化したり、何らかの変化をしてきたのでしょうか?
 そこで、今回は「日本のあかり文化」について、光と影の観点から少しお話をできればと思います。
 まず初めに、光と影の関係から簡単にご説明しますと、ある物体に1方向から光をあてた時、光があたってない暗い部分を「陰」と呼び、物体の投影を「影」と呼びます。
 この時、物体に対して、発光面が遠くにあって小さく、さらに輝度が高いほどハッキリした明暗が生じます。このような影を「本影」といいます。→(例:日中の太陽光、点光源のスポットライト…etc)
 反対に発光面が近くにあって大きいほどぼんやりとした影になりますが、これを「半影」「半陰」といいます。→(例:発光面の大きいシーリングライト、行燈..etc)
 つまり、本影が生じる眩しいくらいの光も、その全てを拡散させるフィルターなどで広く覆ってしまえば、限りなく柔らかい陰影空間となります。日本の伝統的な家屋では、日中、明かり障子を介してこのような明るい半陰を居住空間に取り入れてきました。またもともと気候的にも、年間を通してほとんどが高温多湿の日本では、太陽の直射光は湿気という薄いフィルターを透して降り注ぐため、景色などが霞がかった感じに見えます。
 このような、ぼんやりとした光環境を日常的に見てきた日本人にとっては、おぼろげな見え方に高い感受性を持つ傾向にあり、これらが日本のあかり文化の基に感じる訳です。
 では、西洋のあかり文化はどうでしょう? 例えばロウソク、日本では行燈のように和紙など拡散させる素材で光を主に覆いますが、西洋では数本の蝋燭を直接建てた燭台や、覆っても透明ガラスを使いあえて光の輝きを見せる方法を主に使われてきました。
 つまり、西洋と日本の「あかり文化」の大きく違う点は、光源の照らし方による陰影空間の違いにあるといえます。
 では現在、洋風化する日本の建物の中で使われる「あかり」はというと、これら異なる陰影が混在する事例を多く見られます。もちろん昔に比べ、光源の種類・照らし方、それによる陰影表現も変化しておりますので、照明の進化として捉えると良いのかもしれませんし、洋の良い点は取り入れるべきでしょう。しかしながら、和の思いを形にする。本来ある和のあかりによる「光と陰影」の本質を忘れてしまうと、日本人が「あかり」によって感受する「安らぎ」や「安堵感」といった心地良さは薄れていってしまうでしょう。
 日本は古来より、英語では十分に説明できないくらい「あかり」を表現した言葉がいくつもあります。この日本の感受性の素晴らしさを継承していく「あかり文化」はなくならないでほしいものです。